もしかしたら今、あなたは「このまま会社と家を往復するだけの毎日で終わるのかな」と、胸のどこかで静かにため息をついているのかもしれません。仕事も生活も“それなりに”回っているのに、ふとした瞬間に訪れる虚しさや、言葉にならない孤独のようなものが、じわっと心に広がるときがありますよね。
ちゃんと頑張っているのに、どこか満たされないあなたへ
朝、アラームが鳴る少し前に目が覚めて、「ああ、今日も同じ一日が始まるな」と天井を見つめる時間があるかもしれません。急いで身支度をして、満員電車に揺られ、会社に着けば、決まった席に座って、決まった顔ぶれと、決まったような会話をする。その中には、嫌いな人ばかりというわけではなくて、むしろ「良い人」も多いのに、なぜか心の奥が少しだけ置き去りにされているような感覚になる瞬間がある。
会議室では、誰も本音を言わないまま、当たり障りのない結論に落ち着いていくことがあります。「まあ、言っても変わらないしね」と自分に言い聞かせながら頷いているのに、心のどこかでは小さくため息をついている自分に気づく。そんな自分を、「大人げないのかな」「もっと割り切らないといけないのかな」と責めてしまうこともあるかもしれません。
仕事帰りに立ち寄ったコンビニで、何となくスイーツやお酒を手に取って、「今日はこれを楽しみに頑張った」という気持ちになる夜もあるでしょう。それはそれで、ささやかな楽しみとして大切な時間なのですが、レジ袋を提げて歩く帰り道で、ふと「自分は何のために頑張っているんだろう」と、ぼんやり考えてしまう。
その気持ちは、“甘え”でも“贅沢な悩み”でもなくて、ちゃんと生きているからこそ出てくる、ごく自然なサインだと思います。「もっとちゃんと感謝しなきゃ」「不満を言える立場じゃない」と、自分の感覚を押し込めてきた人ほど、このサインに気づいたとき、戸惑ってしまうのかもしれません。
暇つぶしQUESTをつくった、本当の理由
このブログ「暇つぶしQUEST」は、表向きには“暇つぶし”をテーマにしていますが、本当のところは、「心の安全地帯」をつくりたくて始めました。どこかで「ちゃんとしなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」と肩に力を入れて生きてきた自分にとって、何者にもなろうとしなくていい場所が、どうしても必要だったのだと思います。
インターネットで「生きづらさ」「仕事がつらい」「自己肯定感」などを検索すると、たくさんの情報が出てきます。でも、その多くは“きれいな正解”や“うまくいった人の話”で、「今まさにしんどさの渦中にいる自分」の感覚からは、どこか遠く感じられてしまうこともありました。
「ポジティブになろう」「感謝しよう」といった言葉も、ときには刺さるけれど、ときには心に重くのしかかることがあります。「そんなことは分かっているけれど、今はその段階に行けないから苦しいんだよ」と叫びたい気持ちを、飲み込んできた日々もありました。
だからこそ、「うまく変われた自分」ではなく、「揺れながら、迷いながら、なんとか今日をやり過ごしている自分」のまま言葉を置いておける場所として、このブログを始めました。ここでは、結論を急がず、無理に前向きになろうともせず、「そう感じてしまう自分も、ちゃんとここにいていい」という前提で話ができたらいいなと思っています。
「暇つぶしQUEST」という名前には、「ただ時間を潰す」のではなく、「余白の時間だからこそ、自分の本音と出会えるかもしれない」という願いを込めました。予定もタスクもない“暇な時間”は、これまで「無駄」と言われることもありましたが、実は人生の方向を静かに変えていく、とても大切な“余白”なのだと感じています。
会社員としての日常と、小さな違和感
自分も、今も普通の会社員として働いています。朝決まった時間に家を出て、電車に揺られ、オフィスに着いたらメールとチャットに追われ、気づけば一日が終わる——そんな日々です。仕事そのものが嫌いなわけではありませんし、職場の人間関係も「最悪」というほどではない。それでも、胸の奥に小さな砂粒のような違和感が、少しずつ溜まっていく感覚がありました。
例えば、会議で「もっとこうした方がいいのでは」と感じても、場の空気を読んで言葉を飲み込んでしまうとき。帰りのエレベーターで、一緒に乗り合わせた同僚が「まあ、言っても変わらないしね」と笑いながら言うのを聞いて、「そうだよね」と微笑み返しながら、心の中では何かが静かにしぼんでいく感じがしたことがあります。
休日も、完全に仕事を忘れられるわけではありません。スマホの通知をオフにしていても、ふとした瞬間に「あの案件どうなったかな」「あのメール返せてなかったかも」と不安がよぎる。そんなとき、心はずっと「オン」と「オフ」の間をさまよっていて、どこにもちゃんと腰を下ろせていないような感覚になります。
そんな自分の状態を直視するのが怖くて、動画を流しっぱなしにしたり、SNSを無意識にスクロールしたりして、“考えないための暇つぶし”をしてしまうこともありました。でも、その時間が終わったあと、画面を閉じた暗い部屋で、「さっきより少しだけ虚しいかも」と感じてしまうこともあったのです。
「暇」をきっかけに、自分と向き合い始めた
そんな中で、「この“考えないための暇つぶし”を、“自分と静かに向き合うための暇つぶし”に変えられないか」と思ったのが、最初の転機でした。ほんの数分でもいいから、スマホを置いて、頭の中に浮かんでくる言葉や感情を書き出してみる。それを繰り返すうちに、「自分は何に疲れていて、何を大事にしたいと思っているのか」が、少しずつ見えてきた気がします。
そのプロセスは、決してきれいなものではありませんでした。他人と比べて落ち込んだり、自分の弱さに嫌気がさしたり、「どうせ変われない」と諦めたくなったりする夜も何度もありました。それでも、「こんなことを感じている自分も、どこかにいていいはずだ」と信じたかった。その“どこか”として、ブログという形の居場所を選んだのだと思います。
「心の居場所」から「現実の居場所」へ
そんなふうに、心の中の居場所を大事にしていくうちに、もう一つのテーマが浮かび上がってきました。
——じゃあ、現実の世界にも「ほっとできる居場所」が増えたら、人生って少し優しくなるんじゃないか。
そこで挑戦しようとしているのが、「民泊の伴走人」としての活動です。民泊は、ホテルほどかっちりしていなくて、でも単なる家とも少し違う、“余白のある居場所”になれるからです。 旅先でたまたま見つけた一室が、自分の心をそっと緩めてくれたように、「ただ泊まる」以上の時間を過ごせる場所をつくれたらと思いました。
旅先で泊まった小さな宿や、友人の家のゲストルーム、たまたま見つけた古い民家の一室——そういった場所で、「あれ、自分、こんなにリラックスできるんだ」と驚いた経験はありませんか。窓から差し込む光、床のきしむ音、置いてある本や雑貨の趣味。それらすべてが、その場所の空気をつくり、その人の心を少しずつほどいていきます。
自分自身も、ある旅先で泊まった一室が忘れられません。特別豪華なわけではなく、むしろ少し年季の入った部屋でしたが、そこにはオーナーさんの「ここで過ごす人に、少しでも楽になってほしい」という気配のようなものが漂っていました。朝、窓を開けたときの空気の香りや、さりげなく置かれたメモや本から、「ここはただ寝る場所ではなく、“一息ついていい場所”なんだ」と感じたのです。
そのとき、「場所には、人の心をほどく力がある」と強く思いました。そして、「自分もいつか、誰かがほっと一息つける場所づくりに関わってみたい」と、心の片隅でそっと願うようになったのです。
会社員・書き手・伴走人という三つの顔
とはいえ、いきなり会社を辞めて民泊ビジネスに飛び込むような大胆さは、自分にはありません。今も会社員として働きながら、このブログを書き続け、そのうえで「民泊の伴走人」としての活動を少しずつ形にしていこうとしています。
- 日々の生活を支える「会社員としての自分」
- 心の内側を言葉にしていく「書き手としての自分」
- 誰かの新しい居場所を一緒に考える「伴走人としての自分」
この三つは、一見バラバラに見えるかもしれません。でも、自分の中では「人が自分らしくいられる“時間”と“場所”を大切にしたい」という、一つの願いでつながっています。
もちろん、葛藤がないわけではありません。「全部中途半端になってしまうんじゃないか」「副業なんてして、大丈夫なのか」と不安になる夜もあります。それでも、一人で悩みを抱えている誰かが、「ここで話を聞いてもらえて少し楽になった」と感じてくれたなら、その時間は確かに意味があると思えるのです。
民泊の伴走人として、何をしたいのか
「民泊の伴走人」としてやりたいことは、「利益を最大化する物件探し」だけではありません。もちろん、お金のことは大事ですし、現実的な収支を一緒に考えることも役割の一つです。でも、その前に、「その人がどんな暮らし方をしたいのか」「その場所にどんな人たちが集まってほしいのか」といった、少しふんわりした部分から一緒に言葉にしていきたいと思っています。
例えば、こんな相談があったとします。
- 「いつか、海の近くで小さな民泊をやってみたい」
- 「地方に空き家があって、このまま朽ちていくのは寂しい」
- 「自分のルーツがある場所を、誰かの“ただいま”が言える場所にしたい」
そういった思いを聞きながら、「じゃあ、そのためにはどんな物件が合いそうか」「法律や制度の面で、どんな準備が必要か」「運営の負担を減らすにはどんな方法があるか」を、現実的な目線と、心の目線の両方から整理していく。そんな伴走ができたらいいなと思っています。
それでも不安な気持ちが出てくるとき
正直なところ、自分自身もまだ道の途中です。会社員としてのキャリアも手放していないし、「民泊の伴走人」としても「完璧に分かっている」と言い切れるわけではありません。だからこそ、「先に全部を知り尽くした専門家」としてではなく、「同じように働きながら、少しずつ新しい居場所づくりを模索している仲間」として関わっていきたいと考えています。
自分の人生を大きく変えるような決断をするとき、人はどうしても「失敗したらどうしよう」と不安になります。その不安を無理に打ち消すのではなく、「不安を抱えたまま、一緒に考えていける相手がいる」というだけでも、少し心が楽になることがあります。
ただ話をしてみたい日がきたら
もしあなたが、「この先の働き方や暮らし方を、少し真面目に考えてみたい」「いつか民泊をやってみたいけれど、何から手をつけていいかわからない」と感じる日がきたら、そのときは一度、気軽に話をしてみませんか。
今すぐ決断しなくてもいいし、具体的な物件がなくても大丈夫です。雑談から始める感じで、「こんな未来もアリかもね」と一緒に眺めてみるだけでも、心の中の景色が少し変わることがあります。
- 今すぐ何かを変えたい人は、「最初の一歩」を一緒に小さく決める。
- まだ動く気力はないけれどモヤモヤしている人は、「モヤモヤの正体」を一緒に言葉にしてみる。
- ただこのブログを読むだけで十分という人は、「読んで、少し楽になる時間」を大事にしてもらう。
どのペースも、どの選択も、間違いではありません。今のあなたが感じていることを、そのままここに置いてもらえたら、それだけで十分すぎるほど意味があると感じています。
このブログはこれからも、あなたの“暇な時間”にそっと寄り添う場所であり続けます。その延長線上で、「現実の居場所づくり」という新しい冒険に、一緒に一歩だけ踏み出してみたくなったとき——そのときは、いつでも扉をノックしてくださいね。


