わたしが「心がしんどい人にやさしい民泊」を夢見る理由

ウェルビーイング
現実と夢のあいだに、そっと一枚の扉があります。見慣れた町のはずなのに、その扉だけは地図にも名前にも載っていない場所。夜が静かに降りてくるころ、そこにだけ小さな灯りがぽつりと灯ります。

ここは、全部を投げ出して現実から逃げるための隠れ家ではありません。歩き疲れた心がいったん立ち止まって、深呼吸をしてから現実へ戻っていくための、ささやかな寄り道の場所です。旅人のように日々を歩いてきた誰かが、自分の物語を棚に戻す前に、少しだけ腰を下ろして息をつける小さな宿です。

静かな時間がほしくなったとき、あなたがそっと開くのが画面の向こうの「暇つぶしQUEST」かもしれません。そのページを閉じた先の現実にも、同じ温度のまま続いている、小さな休息の部屋がどこかにある。心の中の旅と、日常の途中にあるその宿とが、ゆるやかにひと続きの地図の上に描かれていきますように。

こんな民泊があったらいいなと思う話

6863 わたしが「心がしんどい人にやさしい民泊」を夢見る理由

もしもいつか、自分の家の敷地のどこかに、小さな離れのような建物があったとしたら。そこには、看板もないかもしれません。派手な装飾もないし、「ようこそ!」と大きく歓迎する雰囲気でもない。ただ、静かに灯りがともっていて、「今日はここで、少し休んでいってもいいよ」とだけ伝えてくれるような場所。わたしが思い描く民泊のイメージは、ずっとそんなささやかなものです。

寄り添いの小箱
「派手さよりも、そっと灯っている明かりに安心する」そんな感覚に共鳴したなら、それだけでこの民泊の世界に片足を踏み入れているのかもしれません。今すぐ行動できなくても、「いつかこんな場所があったら」と思い描くこと自体が、あなたの心の中に小さな避難場所をつくり始めているサインです。

民泊というと、人との交流が盛んなゲストハウスや、オーナーさんが前面に出て盛り上げる宿を思い浮かべる人も多いかもしれません。でも、わたしが心惹かれるのは、もう少し静かな距離感の宿です。同じ敷地のどこかにオーナーが暮らしていて、何かあれば駆けつけてくれる。けれど、ふだんはお互いの生活に踏み込みすぎない。「そばにいるけれど、干渉しない」という関係。その絶妙なバランスに、ずっと憧れがあります。

この文章は、「民泊をこう運営するといいですよ」というノウハウではありません。まだどこにも存在していない、わたし自身の「理想の民泊」の話です。心がしんどくなった人が、少しだけ呼吸を整えに来られる場所を、いつか自分も持てたらいいなという、まだ途中の夢の話。その夢の輪郭を、自分でも確かめたくて、言葉にしてみようとしています。

自分も住みながら、でも干渉しない民泊をやりたいというわがまま

わたしが思い描く民泊は、「自分の生活」と「誰かの滞在」が同じ敷地の中でそっと共存しているような場所です。母屋には自分が暮らしていて、その横や奥に、ゲストが泊まる小さな離れがあるイメージ。玄関も、水まわりも、寝る場所もはっきり分かれていて、普段の生活動線とゲストの動線がなるべく重ならないようにしたい。それでも、「この敷地には、ここを見守っている人がいる」という安心感は、ちゃんと残しておきたいのです。

重要ポイント
「干渉はしないけれど、ちゃんとそばにいる」というスタンスは、民泊に限らず、家族や友人との距離感にも通じる大切な感覚です。完全非対面でもべったり近すぎでもなく、中間のやわらかなゾーンをどう設計するかを考えることが、結果的に自分の暮らしを守りつつ、ゲストの安心も育てていく土台になっていきます。

ただ、その距離感をうまく言葉にしようとすると、いつも少し難しさを感じます。「アットホームな民宿」と言ってしまうと、なんだか違う。わいわい一緒にご飯を食べたり、夜更かしして語り合ったり、という濃い交流をイメージさせてしまうからです。一方で、「完全非対面の無人運営です」と言い切ってしまうと、それもまた少し違う気がする。誰もいない場所に一人で泊まる不安を、必要以上に増やしたくはありません。

そのあいだにある、「見守り型」のような宿をつくりたい。チェックインや案内は基本的にメッセージで完結して、よほどのトラブルがなければ対面のやりとりは必要ない。でも、ゲストが「ちょっと困ったな」と感じたときには、「あの母屋に、この場所を知っている人がいる」という心強さがどこかにある。お互いの生活を尊重しながら、そっと同じ場所に居合わせるような関係性です。

これは、ある意味ではとてもわがままな願いかもしれません。自分の暮らしも大事にしたいし、ゲストにも安心してもらいたい。でも、お互いに無理をしてまで距離を縮めたいわけではない。だからこそ、「どこまでが自分の生活ゾーンで、どこからがゲストの居場所なのか」を、間取りや動線の段階から丁寧に考えたいと思っています。物理的な境界線をしっかり引いたうえで、その上に「見えない安心感」をそっと重ねていくようなイメージです。

“心がしんどい人にやさしい民泊”というコンセプトが生まれるまで

希望のことば
「心がしんどい人」と聞いて、自分のことかもしれないと感じたなら、それは弱さの証ではなく、感受性の豊かさの表れでもあります。うまく笑えない日があっても、何もできない夜が続いても、「ここではそれで大丈夫」と言ってもらえる場所を想像することが、そのまま自分へのやさしさを取り戻す第一歩になっていきます。

「心がしんどい人にやさしい民泊」という言葉は、最初からすんなり出てきたわけではありません。むしろ、わたし自身がときどき生きづらさや虚しさを抱えながら暮らしてきた中で、「自分だったら、どんな場所に逃げ込みたいだろう」と考え続けた結果、少しずつ形になってきたものです。誰かに「頑張れ」と励まされるよりも、「何もしなくていいよ」と言われるほうが救われる夜がある。その感覚を、民泊という形で受け止められないかと考えるようになりました。

ブログ「暇つぶしQUEST」では、これまで「何者にもなろうとしなくていい時間」や、「心が少ししんどいときに読める文章」を書いてきました。言葉だけでも、誰かの心の中に小さな居場所をつくることができたらいいなと思って。そんな中で、「もし現実の世界にも、そういう居場所があったらどうだろう」と思い始めたのが、民泊への興味のはじまりでした。

とはいえ、「心がしんどい人に向けた民泊」と聞くと、どこか身構えてしまう人もいるかもしれません。特別なケアが必要な人だけを対象にしているように感じたり、「自分には対応できない」と不安になったり。わたし自身も、最初はその言葉の重さに戸惑っていました。でも少しずつ、「心がしんどい人」というのは、特別な誰かではなく、「たまたま今、疲れている旅人」のことなのかもしれない、と考えるようになりました。

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気づきのポイント
旅先で「ちゃんと楽しめていない自分」に落ち込んでしまう日もありますが、その瞬間こそ、心が少し疲れているサインでもあります。「観光を頑張る」のではなく、「今日は休むための旅でもいい」と自分に許可を出せる場所があると、肩に乗っていた見えない荷物を、そっと床に下ろせるようになっていきます。

そう思えるようになってから、「心がしんどい人にやさしい民泊」という言葉の意味も、少し変わっていきました。特別な支援を提供する場所ではなく、「ここでは、うまく笑えなくてもいいし、何も観光しなくてもいいよ」と許してくれる場所。チェックアウトしたときに、人生が劇的に変わっている必要はありません。ただ、帰り道の足取りが、ほんの少しだけ軽くなっていればいい。その程度のささやかな変化を大切にする宿です。

BEST OF MINPAKUで見つけた「こんな宿であってほしい」というヒント

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そんなことを考えながら、「民泊って、実際にはどんな形があるんだろう」と思っていたときに出会ったのが、「BEST OF MINPAKU」というコンテストでした。日本一の民泊を決める、と聞くと、最初は派手で特別な宿ばかりが集まっているようなイメージを抱きました。でも、実際に紹介されている宿を眺めてみると、そこには「静かな時間」や「生活の延長線」を大切にしている宿も、ちゃんと並んでいたのです。

おすすめポイント
コンテストに並ぶ宿の「物語」を眺めていると、自分の理想の宿の輪郭も少しずつはっきりしてきます。「ここ好きだな」と感じたポイントを、ノートやスマホにメモしておくと、のちのち自分のコンセプトを言葉にするときのヒントになります。いきなり完璧な構想を描かなくても、「こうだったらいいな」のスクラップを集める感覚で大丈夫です。

古民家を丁寧に再生した宿、海や山の静けさを前面に出した一棟貸しの宿、子どものころの夏休みを思い出すような素朴な家。どの宿にも、「この場所で、どんな時間を過ごしてほしいのか」というコンセプトが、言葉や写真としてきちんと表現されていました。豪華さや設備よりも、「この宿の物語」が大事にされていることに、強い共感を覚えました。

その中には、「何もしない時間」や「心の余白」をテーマにした宿もあります。特別なアクティビティを用意するのではなく、あえて「ここでは何もしなくていい」と宣言しているような宿。それでも、いや、だからこそ、多くの人に選ばれ、評価されている姿を見て、「こんな在り方もちゃんと認められる世界なんだ」と、心のどこかで救われた気持ちになりました。

BEST OF MINPAKUを眺めていると、「民泊は、ただ泊まる場所を提供するだけではなく、『どんな時間を過ごしてほしいか』を一緒に提案する場所なのだ」ということが、少しずつ実感として浮かび上がってきます。わたし自身が夢見ているのも、「心がしんどい人が、ただ静かに時間を過ごせる宿」。それが、今の世の中の流れの中でも、決して場違いではないのだと感じられたことは、大きな励ましになりました。

もし「どんな民泊が、どんなコンセプトで評価されているのか」をもう少し覗いてみたくなったら、主催者がまとめている公式サイトをそっと開いてみるのもおすすめです。
日本一の民泊を決めるコンテスト「BEST OF MINPAKU」公式サイト には、コンセプトがはっきりした民泊や貸別荘が並んでいて、「自分ならどんな時間を届けたいだろう」と考えるきっかけになります。

理想の間取りと距離感のイメージを、言葉にしてみる

もし、わたしが民泊を始めるとしたら。まず大切にしたいのは、「自分の生活とゲストの生活を、どうやって気持ちよく切り分けるか」という部分です。母屋には、自分の日常がそのままあります。仕事をしたり、だらだらしたり、落ち込んだり、笑ったりする、ふつうの暮らし。そのすぐそば、同じ敷地のどこかに、ゲストのための小さな建物や部屋がある。玄関は別で、トイレやお風呂もできる限り分けたい。共有スペースを増やすよりも、お互いの「自分の場所」をはっきり守れる配置にしたいのです。

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実践ヒント
まだ具体的な物件がなくても、ノートに「母屋」「離れ」「玄関」「生活動線」といった言葉を書き出して、矢印でつないでみるだけでもイメージが整理されていきます。「ここは絶対に分けたい場所」「ここはゆるく共有してもいい場所」と、自分なりのこだわりをメモしておくと、将来物件と出会ったときに、迷いすぎずに判断できる土台になります。

チェックインは、基本的には対面ではなく、事前のメッセージで完結するイメージです。鍵の受け渡し方法や、設備の使い方、近くの買い物スポットなどを、落ち着いて読める文章でゆっくり伝える。もしゲストが希望するなら顔を合わせて挨拶することもあるかもしれませんが、それを前提にはしないつもりです。人によっては、「誰にも会わずに、そっと出入りしたい」という日もあると思うからです。

室内の設備も、豪華にしすぎるつもりはありません。必要なものはちゃんと揃っているけれど、「何をして過ごすか」を強く提案しすぎない空間。小さなテーブルと椅子、寝心地のいい布団、簡単な調理ができるキッチン。Wi-Fiはあるけれど、テレビはなくてもいいかもしれません。窓の外には、特別な景色がなくても構いません。むしろ、“どこにでもありそうな町の一角”であることが、安心につながる人もいるはずだからです。

オーナーとしての自分は、できるだけ「背景」にいたいと思っています。ゲストにとっての主役は、あくまでその人自身の時間であって、オーナーではありません。だからこそ、「いつでも話しかけてください」と積極的に近づくのではなく、「何かあったら、ここにいます」とだけ伝えておく。困ったときにはすぐ応えたいけれど、必要のないときには、お互いの生活に踏み込みすぎない。その距離感を守ることが、結果的に長く続けられる関わり方になるのではないかと感じています。

今はまだ、「遠回りの近道」として民泊不動産エージェントを選んでいる

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ここまで書いてきたような民泊は、正直なところ、すぐに実現できるものではありません。物件のこと、お金のこと、法律のこと、運営のこと。考えなければいけないことは、想像以上にたくさんあります。自分ひとりで全部抱え込もうとしたら、途中で心が折れてしまうかもしれない。そう感じたからこそ、私はまず「民泊不動産エージェント」という立ち位置を選びました。

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心に残る言葉
夢に向かう道のりは、必ずしも一直線である必要はありません。「遠回りに見える選択こそが、いちばん現実的な近道だった」と振り返る日が、きっとどこかで訪れます。今の自分にできる関わり方を選び続けることは、夢を諦めることではなく、むしろ静かに育てていく行為そのものなのだと思います。

民泊革命株式会社という、民泊や貸別荘の運営に慣れたチームと提携しながら、空き家や実家を持て余しているオーナーさんと、民泊という新しい活かし方との橋渡しをする役割。自分自身が民泊オーナーになる前に、まずは「誰かの民泊が育っていく過程」に伴走させてもらうことを選んだのです。それは一見遠回りに見えるかもしれませんが、わたしにとっては「自分の理想の民泊に近づくための、いちばん現実的な近道」でもあります。

エージェントとしての仕事では、オーナーさんが大切にしたいことや不安に思っていることを聞きながら、「どんな人に来てほしい宿なのか」「その人はどんな気持ちでここを訪れるのか」といった問いを、一緒に言葉にしていきます。そのプロセスは、そのまま自分自身の民泊構想を深める時間にもなっています。自分の宿を持つ日を急がなくても、「誰かの宿の物語づくり」に関わり続けることで、いつか自分の番が来たときに備えていける。そう感じています。

いつか自分の民泊をひらくその日まで

いつか、自分の母屋のとなりに、小さな宿の灯りがともる日が来るかどうかは、正直なところ、まだわかりません。人生の流れや、住む場所、仕事の状況。いろいろな要素が絡み合って、そのタイミングは変わっていくはずです。それでも、「心がしんどい人にやさしい民泊をやってみたい」という気持ちは、今のところ、自分の中で静かに灯り続けています。急いで形にするというより、その火を消さないように守りながら、できるところから関わりを増やしていきたいと思っています。

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プチチェックリスト
・「いつか民泊をやってみたい」と思ったことがある
・人と関わるのは好きだけれど、一人の時間もすごく大切
・観光よりも「静かに過ごせる場所」に惹かれる
ひとつでも当てはまったなら、あなたの中にも静かな民泊のタネが眠っているのかもしれません。焦らなくていいので、そのタネを大事に眺めてみてください。

わたしが今できているのは、「民泊不動産エージェント」として、誰かの空き家や古民家が、誰かの避難場所としての民泊に変わっていく過程に伴走することです。そして、「心がしんどい人を迎える民泊オーナーさんへ」と呼びかける文章を書きながら、オーナーとゲストのあいだにある目に見えない距離感を、一緒に考えていくことです。自分の宿を持つ前に、「心の中の民泊」を少しずつ育てているような感覚に近いかもしれません。

いつかその延長線上で、自分の民泊をひらくことができたら。そのときには、きっと今まで出会ってきたオーナーさんやゲストの姿が、あちこちに重なって見えるのだと思います。誰かのしんどさに寄り添おうとしていた宿の工夫や、「無理をしない距離の取り方」の知恵。それらを少しずつ自分の宿に受け継ぎながら、「ここでは、何者にもならなくていいですよ」と静かに伝えられる場所をつくれたらと願っています。

もし、この文章を読んで、「自分もいつか民泊をやってみたい」「でも、やり方や距離感に不安がある」と感じたオーナー予備軍の方がいたら。あるいは、「心がしんどくなったときに、行ける場所があったらいいのにな」と思っている誰かがいたら。心がしんどい人と民泊のあいだでや、心の暇つぶしを書いてきた私が民泊不動産エージェントを始めた理由というページも、タイミングの合うときにそっと覗いてもらえたらうれしいです。

感謝の瞬間
ここまで読んでくださったこと自体が、書き手にとっては大きな励ましです。「自分のペースでいいんだ」と感じてもらえたなら、それだけでこの文章は静かに役目を果たし始めています。あなたの中に芽生えた小さな違和感や希望を、どうか見なかったことにせず、大切な感情のひとつとしてそっと抱きしめてあげてください。

わたしが「心がしんどい人にやさしい民泊」を夢見てしまう理由は、きっとひとつではありません。自分自身が何度も「逃げ込める場所」を探してきたこと、誰かのしんどさを前にしたときに、うまく言葉が出てこなかった経験、そして、民泊という形に小さな希望を感じていること。その全部が少しずつ重なって、この夢の輪郭をつくっています。この文章が、その輪郭をあなたと共有する、ひとつの小さなきっかけになればうれしいです。

「心がしんどい人にやさしい民泊」Q&A

Q1. 「心がしんどい人にやさしい民泊」と聞くと、少し重たい印象もあります。どんな人をイメージしているのですか?

A. ここで思い描いているのは、「特別なケアが必要な人」だけではなく、「最近、なんとなくずっとしんどい」「家には帰れるけれど、帰りたくない夜がある」という、日常と地続きのしんどさを抱えた人たちです。仕事や人間関係、将来への不安……理由はうまく言葉にできないけれど、心のどこかが擦り切れているような感覚を抱えたまま、なんとか毎日をやり過ごしている人。その人が「ちゃんと説明できなくても、ここにいていい」と思える場所でありたいのです。

Q2. ここは、カウンセリングや医療の代わりになる場所ですか?

A. いいえ、ここは専門家による治療やカウンセリングを提供する場所ではありません。専門的なケアが必要なときは、医療機関や相談窓口の力を借りることがいちばん安全で、確かな道だと思っています。この民泊が担いたいのは、その前後にひと息ついたり、日常と非日常のあいだで心をゆるめ直したりできる「中継地点」のような役割です。何かを治すというより、「今の自分のまま、ここにいても大丈夫」と感じてもらうことを静かに願っています。

Q3. 「現実から逃げるための隠れ家ではない」と書いていますが、それはなぜですか?

A. 「全部投げ出して逃げたい」と思うほど追い詰められる夜は、誰にでもあるかもしれません。ただ、逃げることだけを目的にしてしまうと、戻る場所がますます遠く感じられてしまうこともあります。この民泊が目指したいのは、現実を放り出すための穴ではなく、「一度立ち止まって深呼吸をしてから、また自分の生活へ戻るための寄り道」としての場所です。逃げるでもなく、ただ耐え続けるでもなく、その間にある「中休み」のような時間を、そっと用意しておきたいのです。

Q4. なぜ、自分も同じ敷地に住みながらの民泊にこだわるのですか?

A. それは、「誰もいない建物」に泊まる心細さと、「過剰に距離の近いアットホームさ」のどちらにも偏りたくないからかもしれません。同じ敷地に人の気配があることで、「何かあったら助けを求められる」という安心感が生まれます。でも、玄関も水まわりも生活動線もきちんと分かれていることで、「いつも誰かに気を遣わなければいけない」という負担は減らしたい。その微妙なバランスを現実の形にできるのが、「自分も住みながら、でも干渉しない民泊」なのだと思っています。

Q5. オーナーとゲストの距離感は、どれくらいをイメージしていますか?

A. イメージにいちばん近いのは、「同じ街に住んでいるけれど、たまたま今日は同じ敷地にいる人」という関係です。無理に仲良くなる必要はなく、雑談を頑張る必要もありません。ただ、「この場所のことを知っている人が、すぐ隣に暮らしている」と感じられるだけで、夜の静けさは少し違って聞こえるはずです。顔を合わせるのは、チェックインの挨拶だけかもしれないし、メッセージのやり取りだけで終わる日もある。それぞれの居心地をいちばん大事にしながら、その日ごとの距離を選べる関係でいられたらと願っています。

Q6. 理想の間取りや設備で、特に大切にしているポイントはどこですか?

A. いちばん大事なのは、「ここからここまでは、思い切り気を抜いていてもいい」と心が判断できる線を、物理的な形で引くことです。そのために、玄関・トイレ・お風呂・寝る場所は、可能な限りゲスト専用に分けたいと考えています。設備自体は豪華でなくてかまいませんが、「他人の生活音に気を張りつめ続けなくていい配置」であることは、とても大きな安心材料になります。じゅうぶんな広さよりも、「自分の気配だけが満ちている」と感じられる範囲を確保することが、心の休まり方に直結してくる気がしています。

Q7. 部屋では、どんなふうに過ごすことを想定していますか?

A. ここでは、何か「生産的なことをしなければならない」という前提を手放してもらえたらと思っています。観光に出かけてもいいし、一歩も外に出ずに布団の上で一日を終えてもいい。スマホをいじっていても、本を眺めていても、天井を見つめていても、「それでいい」と思える空間でありたいのです。もし心が少し動いたときには、ノートに言葉を書き出したり、近くを短く散歩したりするかもしれませんが、それも必須ではありません。「自分が今、どう過ごしたいか」にだけ耳を澄ませられる時間が流れていたら、それで十分だと考えています。

Q8. BEST OF MINPAKU との出会いは、この夢にどんな影響を与えましたか?

A. BEST OF MINPAKUで紹介されている宿の中には、「何もしない時間」や「心の余白」を大切にしている宿がいくつもありました。それを見て、「静かなコンセプト」「ささやかな時間」を軸にした宿でも、きちんと評価されていることを知ったのです。派手なアクティビティや豪華な設備だけが価値になるわけではない、と実例で教えてもらったような感覚でした。自分が思い描いていた「心がしんどい人にやさしい民泊」も、この世界のどこかで受け入れられる可能性があるのかもしれない――そんな小さな希望の灯りがともった出来事でした。

Q9. 民泊不動産エージェントという仕事は、この夢とどうつながっているのですか?

A. 自分自身がすぐに民泊オーナーにならなくても、「誰かの宿が形になっていくプロセス」に関われるのが、この仕事の大きな魅力です。空き家や実家を持て余しているオーナーさんと、「そこを民泊として活かしたい」という願いとの間に立ちながら、その宿のコンセプトや距離感を一緒に言葉にしていきます。その時間は、そのまま「自分ならどうするだろう」「自分はどんなゲストを思い浮かべるだろう」と問い直すきっかけにもなります。すぐに自分の宿を持たなくても、他の人の宿づくりに伴走することで、遠回りのようでいて一番現実的な近道を歩いているような感覚があります。

Q10. 自分も似たコンセプトの宿をやってみたい気持ちがあります。準備が整っていなくても、その思いを持っていていいのでしょうか?

A. 「いつかこういう宿を持ってみたい」という思いは、それだけで立派な種のようなものだと思います。種は、土にまかれてすぐには芽を出しませんし、人によっては、長い冬を越してからやっと芽吹くこともあります。物件も資金もノウハウもない段階で、「そんなことを考える資格なんてない」と自分で夢を摘み取ってしまう必要はないのだと思います。むしろ、まだ形のないうちだからこそ、「どんな人に来てほしいか」「その人にどんな時間を渡したいか」を自由に描ける貴重な時期でもあります。

Q11. この記事を書いている今、この民泊はまだ存在していないとありました。実現していない夢を語り続けることが、怖く感じることはありませんか?

A. 正直に言えば、「こんなことを書いておいて、本当にできなかったらどうしよう」という不安がまったくないわけではありません。未来の自分がこの夢から離れてしまっている可能性だって、ゼロではありません。それでも今の自分にとって、この民泊は「たしかに心が動く方向」なのだと思います。実現のスピードや形は変わっていっても、「今ここで感じている小さな灯り」を否定せずに言葉に残しておくことには、きっと意味がある。たとえ遠回りになっても、その灯りを目印にして歩きたいと願っています。

Q12. 泊まりに行くことができない状況でも、自分に少しやさしくできるヒントはありますか?

A. 物理的に移動できないときでも、「心の中で行ける場所」を持っているだけで、少し呼吸が楽になることがあります。たとえば、ノートやスマホのメモに「いつか行ってみたい場所」「行くとほっとしそうな場所」を三つだけ書き出してみる。実際に行けるかどうかは、今はまだ気にしなくてかまいません。「自分には、いつか向かえるかもしれない避難場所の候補がある」と知っているだけで、心のどこかに小さな非常口ができるような感覚が生まれます。

Q13. あなたが「心がしんどい人にやさしい民泊」を夢見るいちばんの理由は、何だと思いますか?

A. おそらくそれは、わたし自身が何度も「逃げ込める場所」を探してきたからだと思います。うまく助けを求めることもできないまま、「どこに身を置けばいいかわからない夜」をやり過ごした経験が、心のどこかに静かに残っています。そのとき、「もしこんな民泊があったら」と思い描いた場所が、今も形を変えながら胸の中で灯っているのかもしれません。だからこそ、これは誰かのためだけでなく、自分自身のための夢でもあります。「あの時の自分が、泊まりに行きたくなるような宿」をいつか現実にできたら――その願いが、このコンセプトの根っこにあるのだと思います。

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